兵庫県加西市にあるプロテスタントのキリスト教会

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飯盛野教会の歴史

1928年(園児と一緒の礼拝昭和3)7月、日本基督教会のE.M.クラーク博士(北米長老教会宣教師)とともに、堀井順次牧師(当時神学生、昭和3~15年牧会)が、ひと夏の伝道という目的で、北条の地に最初に足を踏み入れたことがきっかけで、本教会歴史が始まる(教会創立)。1931年(昭和6年)に日本基督教会伝道教会建設式が行われ、翌年「飯盛野伝道教会」と改名する。その後、1950年(昭和25)本教会と密接な関わりをもつ関西農村教化研究所(関西農村センター)が創設される。それから米国長老派教会から送られた献金が主な資金となって1951年(昭和26)12月19日に飯盛野教会の会堂献堂式(現在の教会建物)を行う。1952年(昭和27)4月礼拝堂の一部を利用して飯盛野幼稚園を開園する。同年9月よりノルトン宣教師夫妻が教会とセンターに関わる一方、1953年(昭和28)の英会話教室や1956年(昭和31)のイングリッシュバイブルクラスを通して伝道の道を模索する。1974年(昭和49年)12月には現在の牧師館が完成される。翌年(昭和50)には教会員数60~70名にのぼり、家庭的な雰囲気で活気に満ちあふれた交わりを活かした積極的な伝道活動を試みようとする。1978年(昭和53年)には創立50周年を、2008年には創立80年を迎える。80周年記念集にある信徒の方の言葉が次のように載っている。(教会出席の動機を述べるなか)「あんただけでも、教会につながってほしい。外から着飾るだけではなく、心の内面から美しくなってほしいと言われたことを思い出したからです。」いよいよ本教会は2028年に創立100周年を迎えるが、これから目指すべき礼拝と伝道と交わりの根源にはこの言葉の福音的な意味が生かされ、この加西の地で主の体なる教会としての役目を果たしていくことを信徒一同は祈っている。
会堂内


教会学校の様子写真は、CS(教会学校)のクラスや夏期学校の流しソーメンの様子です。
お子様も一緒にぜひ、一度礼拝に参加ください。

牧師紹介

文 禎顥(ムン ジョンホ)牧師

①小さい頃の夢:国家代表のサッカー選手

②一番古い記憶:母の背中におんぶされて大声で泣いていた自分(理由は分からない)

③一番恥ずかしかったこと:中1年生の時、教室で美人の担任先生に「ママ」と呼んでしまったこと

④その次に恥ずかしいこと:小5年生の時、家の近くで約30メートル先の見知らぬあるおじさんを父親と見間違えて、大きい声で「パパ」と呼んでしまったこと

⑤最近少し後悔していること:あまり効かない手動式除草機を購入したこと

⑥もう一度行きたい場所:「明治村」

⑦記憶に残る日本の特別な料理:「ひつまぶし」

⑧たまに食べたくなる韓国の食べ物:インスタントラーメン

⑨たまに食べたくなる日本の食べ物:本物のラーメン(味噌)

⑩おすすめの絵本:「へいわとせんそう」、「エリカ」

私は1971年韓国大邱で生まれ、釜山で育ちました。クリスチャンの母を通して幼児洗礼を受け、それ以降教会学校で聖書を学び、多くの信仰の先輩から影響を受けました。私の信仰の発展過程において特別な二つの出来事があります。一つは高校3年生の時に聖霊に満たされて「ナイロン信者」(形式的な信者)から「ボーンアゲイン信者」(新生の信者)へ変身したという経験です。もう一つは神学生の頃ある組織神学教授の講義(聖霊論)を通して信仰を成熟させる学問の楽しさに目覚めたという経験です。これらの経験は私の価値観と人格形成に特に大きな影響を与え、福音伝道の道を歩むように確信をもたらしたといえます。こうして「大韓イエス長老会(統合派)」で牧師按手を受けるに至りました。来日したのは2002年8月で、最初は大阪で生活しました。関西学院大学神学部修士課程に入学してからは神戸で10年以上勉学と伝道活動に励み、2016年からは名古屋で5年間を大学教員として務めました。そして、2021年秋に日本基督教団への教師転入が正式に許され、2022年1月に退職されました安東優先生の代わりに、飯盛野教会の主任担任牧師として就任するようになりました。現在、教会形成という究極的な課題に向かって信徒の方々と共に一歩一歩前に進んでおります。

お気軽にお問い合わせください TEL 0790-48-3326 〒675-2241 兵庫県加西市段下町880

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